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「書物という門をくぐればどんな国にもビザなしで入国できる。もう存在しない国にも入国できる。古代ローマ帝国でもソビエト連邦でも」とナヌークが調子に乗って話し続けるのが少し気に障ったのか、「読書を通して世界が学べるなら、わざわざ船に乗って旅する必要もないだろう」とクヌートはめずらしく不機嫌そうな調子で言い返した。ナヌークはそれを聞いてますます優越感を感じたのか鼻先をかすかに上に向けて、「船と書物の関係は、君が考えているほど単純なものじゃない。本を書く人間は危機感を持っている。どんな文明でもいつかは海に沈む可能性があることを知っている。だからすべての図書館は船なのさ」とさらに気取ったセリフを吐いた。

多和田葉子 『太陽諸島』

 

言語はわたしにとって体系ではなく、一種の「できごと」なのではないかと気づいた時、日記という型式がわたしにとっては言語について書き記すのにふさわしいのではないかと思った。自分の身に毎日どんなことが起こるか、予想できないし、操作もできない。誰に会うかは、相手が拒否しない限り、ある程度自分で決められるが、その人が何を言い出すかは予想できない。言葉は常に驚きなのだ。

多和田葉子 『言葉と歩く日記』

 

好きなソシャゲがもうすぐ周年を迎え、そこかしこで関連ポストがまわってくる。まともなひとがまともな場面を見て抱いたまともな感想でTLが埋まるから、たまにちょっと息苦しくなる。みんなと盛り上がりたいのに。うつくしいものを受け取る心が自分にないことへの嫉妬なのかな。
結局のところ、自分の境遇や感性からは逃げられないのかもしれない。小説などの作品にせよ、熱量のままに打った感想のポストにせよ、生み出した限りは無意識に自身が宿る。
多和田葉子の言語三部作を読み終えた記念に、『言語と歩く日記』に手を付け始めた。そこでわかったのは、言語三部作のhirukoは、多和田葉子本人にあまりにも近いこと。一人称の文章には、たとえそれが小説であっても作者の陰が見える。わたし以上の文章を書くためにはどうしたらいいんだろう。

言語三部作はとてもよかったです。あの中のひとたちならアカッシュがいちばん好き。旅は続く。一見無意味に思える出会いや縁がきちんとどこかに繋がってる。Toby foxのUNDERTALEの世界観や梨木香歩の『春になったら苺を摘みに』が好きな人は好きだと思います。