1123

どうやら本人はまわりを低く見ているわけではないようで、自分が異質なので誰にも理解されないだろうとあきらめて、まわりに気を使うのをやめて好きなように振る舞っているようなところがあった。

 

「希望なんて役に立つのか。運命の海で溺れているだけなのに」

多和田葉子  『太陽諸島』

傷つけられたくないから、先に誰かの傷口を抉るようにしている。優しくしていたら、いつもにこにこしていたら、なめられ、都合のいいように使われるのだから仕方がない。
吐き気がするのも腹痛に苛まれるのも見事に出社の日だけなので、適応障害とはこういうことか、という感じ。伝わるかどうかわからない相手にわたしの言葉を使うのは面倒くさいし、自分は間違えないからいいや、と思って注意喚起はしない。でも同僚はそうじゃないみたいだ。いつもこっそりミスをカバーしてあげていた後輩が、他人のミスには不寛容で、ちゃっかり注意喚起をしているのを見ては、なんだかなって思った。自分以外莫迦だと思う気持ちはわかるけれど、わかるんだけれど、そんな露骨に出さなくても。ひとりで働いているわけじゃないんだから、いつかは見下してる莫迦に助けてもらう時もあるのに。
こういうことを書いていると、自分が周りと仲良くしたい人間みたいで嫌になる。みんなに好かれてたい、そんな気持ちが自分の根本にあるなら消したい。わたしと、わたしが好意を抱いているひとだけが笑っていればよくて、それ以外の人はどうなろうと知らないと思っているくらいには、社会性が希薄だと自認してるんだけど。本当は人を愛したいっていうの?

1122

わたしのためではないけれど、わたしの人生に在って下さって、本当にありがとうございます。
紅玉いづき『今宵、嘘つきたちは影の幕をあげる』

世界が自由に開かれていることを忘れそうになる。わたしのために物事が存在していなくても、したいことをわたしは選ぶことができる。わたしにも好きになっていい自由がある。そのはず。社会に出なければ、そんな気持ちでいられる。早く勤めに出なくても生きていけるようになりたい。

1121

「どうして言えない?」「相手を傷つけることになると思うので」「君ねえ、傷という単語は病院の中だけで使われるべきもので、素人がメタファーとして使うべきじゃないんだ。心の傷なんて存在しない。あるのは心臓の傷だけだ。それに君はなぜ相手の反応のことばかり考えているんだ」「さあ」「相手のことなど考えても意味がない。相手は相手で、所詮君には理解できないんだ。勝手に想像しているだけだろう。相手ががっかりするだろうとか、悲しむだろうとか。そんなことに何の意味がある?相手のことなどどうでもいい。相手にどう思われているかもどうでもいい。自分が真実だと思うことを正直にそのまま口にするまでの話さ」

多和田葉子『星に仄めかされて』

 才能も勇気も今のところは持ち合わせていないので、仕方なく生きていくために勤めに出ているわけだけれど、社会人として過ごす時間やそれに伴って受ける理不尽に、本当のわたしを壊されているような気がする。休みの日に好きなひとと触れ合いそばにいることで回復しているけれど、働いている時間の方が圧倒的に多いから、いくらわたしを取り戻してもその都度台無しにされる。きれいだと感じるひとは大抵社会の毒を受けていない暮らしをしているのも事実だ。自分を守るために、わたしがきれいでいるために、勤めに出なくても生きていけるように力を磨きたい、と思う。言葉の世界って、色々な解釈があって、そのひとの価値観で選ぶ言葉も変わるから、正解がない。調べていけばいくほど足りないような気がして、延々と調べては書き写す。この時間が苦しくて、とても楽しい。狭い世界に閉じこもって、そこで認められ褒められる自分に満足したくない。もうこれでいいんだって思いたくない。もっと色々なことが知りたいし、もっと遠くへ行きたいと思う。「わたしって大したことないんだ」、この気持ちを大事にしていきたい。 もっと他人を知りたい。でも、自分の思う基準に達していない人にどう接したらいいのかわからない。容姿においても、経験においても。昨日田舎のスーパーの駐車場で手を汚さないようにして2人で食べたマックのポテトが美味しかった。

 

1013

好きな言葉を書いていたひとが、生きる意味を見いだせなくなった世界でこれからも生きていかなきゃいけないことにぞっとする。
羨ましいだとか好きだと思える言葉選びができるということは、わたしよりもきれいなものを知っていたか、わたしよりも先を見れていたひと。そういうひとが見切りをつけるって、この先になんの希望も見いだせなくなったってことでしょう。生きるために必死に見つけようとしていたきれいなものや面白いものなんて存在してなかったってことだよね、本当にこの先には何もないの?


ひと組の男女が隔たりなく愛し合った結果の副産物なのか、数打ちゃ当たると思った博打の結果なのか、本当に心から望まれていたのかわからない以上、わたしたちに生まれた意味なんてないんだよ。だからその延長である生きる意味も存在しない。でも、自殺しようと思える以上、生存は本能ではなく、欲求のひとつらしいし。じゃあわたしたちどうしたらいいのって感じだよね。

0930

今日は、あるひとについて書く。他人に面と向かって、「あなたのようになりたいと思っていた」「そういうところも好きだった」なんて言ったのは初めて……ではないけれど、思い返せば恥ずかしくなるくらい、正直に気持ちを伝えた。


わたしにないものを持っているひとだった。彼女のようになりたいと思った。彼女のようになりたくて、真似をしていた時期もある。今でもそうかもしれない。彼女だったらどうするか考えて、彼女がするように振る舞ったこともあった。

 

あまりにも純粋で真っ直ぐなひとだったと思う。わたしのようにいい加減じゃないから、嘘をつくことができない。だからそういうひとは周りに潰される。生き延びるために必要なのは真正面から闘わないことだ。本心をごまかさなければいけない。1+1が3になるのを受け入れなければいけない。でもそんなの、間違ってる。わたしよりも、彼女の方がずっと正しいのに。常に真摯であろうとした彼女の方が、ずっとずっと正しくて、立派なのに。そんな真面目な人が食い物にされていくのがただただ悔しい。

 

もっと恐ろしいのは、今はこれだけ感傷に浸っているくせに、きっとこの気持ちさえわたしは明日になったら忘れてしまうことだ。仕方ない。生き延びるためにはある種のいい加減さがいるんだから。

 

 

 

 

0925

人生の何がやばいって、どんなに悲しい別離があったとしてもその後日常がずっと変わらずに続いていくことだ。大切な人を失った悲しみなんかじゃショック死できないようにわたしたちはできているらしく、世界は大切な人を失った悲しみなんかじゃ壊れないほどまったきものであるらしい。そして、その悲しみはどんなに他の環境に恵まれていてもなかなか癒えるものではないらしい。
それなら、他人に依存しない生き方をすればいい。自分で作り上げた世界だけで自分の存在を保てばいい。他人に自分の存在価値を求めなければいいのだ。でも、趣味や友達に恵まれ、充実していると思われるひとのTwitterで「彼女」「彼氏」「結婚」「出会い」と検索してごらん。意外な本音が見られると思う。結局はほとんどのひとが自分だけの理解者を本当は求めてるみたいだ。
多分このひとは大丈夫な人だと思ってみていた判例が、案の定大丈夫なんかでなく、その後もずっと葛藤しながら、唯一のひとりを失った世界で生きていたことがなんとなくわかってしまい、そりゃそうかと思った。やっぱり好きな人を失った人生は、余生なんだよ。
神様なんて信じてないけど、あのひとがしんだらわたしもすぐにころしてね。あのひとのいない世界でわたしは生きていける気がしないので